
たまに「脱成長って良いよな~」と思うことがあるのです。
脱成長とは、ざっと言うと
GDP(経済成長)を最優先目標とする社会のあり方を見直し、環境負荷を減らしながら、人間の幸福や生活の質を重視する社会へ転換しようとする思想・運動
のことで、欧州の研究者を中心に発展してきたと言われています。
日本では、2020年に発刊された『人新世の「資本論」 著:斎藤 幸平』がきっかけで一時注目されていたと記憶しています。
私が脱成長を好意的に見ているのは、
- 今の暮らしに満足している
- 頑張ってまで、さらなる便利な暮らしやお金を求める気はないから
です。
つい先日『便利な時代になったはずなのに』の記事でも書きましたが、テクノロジーの進化によって日々の生活はラクに快適になっているはずなのに、それを主観的に実感することはほとんどありません。
そこで
「じゃあ、成長を止めてもいいじゃん」
という意見が出てくるのにも一定の理解ができますし、可能であればそちら方向に進んでいった方が良いのではないかとすら思います。
成長による恩恵
もちろん、『成長』によって手に入るのは『便利な生活』だけではなく、
- 医療が進化すれば助かる命がある
- 食料品の生産効率が上がれば世界中の飢餓が減る
- 再生可能エネルギーの発展に地球の未来がかかっている
といった効用も存在しているので、『成長を捨てる』ことは『捨てられる人々が生まれる』ことにもつながります。
そして、これらを『成長』実現するにはAIの進歩が必要でしょうし、AIの進歩には基盤となるハードウェアの産業の成長は欠かせないし、ハードウェアを製造するためには効率よく資源を採取できるようにならねばならない、適切なタイミングで適切な場所に運送しなければならない、人々が快適に働くための衣服を作らねばならない、これらを行うためには人々のコミュニケーションが円滑に取れなければならない。
などなど、結局のところ多くの人・モノを助けるためには、世の中にある多くの産業が調和して成長する必要があります。
『脱成長』から頻繁にターゲットとされる『過剰な広告・マーケティング』でさえ、新たな需要を作り出し、それに応えるための技術革新のスピードを上げるという役割があるとも考えられます(個人的には『需要を作り出す広告(なくても困らない消費を増やす)』は嫌いですし、大きな害があるとも考えていますが)
そう考えると、世界規模での『脱成長』は難しい、もとい、するべきでないとも思えてきます。
個人レベルでの脱成長
しかし、個人では『脱成長』も選択できるのかもしれません。
より高収入を目指すわけでもなく、
より立派な住居・生活を求めるわけでもなく、
『現状維持』ができる最低限のラインでの努力を行い、余力を使って趣味を楽しむようなイメージです。
社内でも同期では後れをとり、近い年代の友人よりも遊びにお金を使うことはできなくなる可能性が高いですが、その代わりに仕事で疲弊するようなことは減り、余暇も増やすことができるでしょう。
また、現在私が選んでいる、
- これ以上の生活水準を求めない
- 収入の上昇を期待せず、株式から手に入る利益をメインの収入源とする
との選択をしていても、
- 他者の『成長欲』から生まれる企業の利益を享受
- テクノロジーの進化による生活の質の向上を享受
と、他人の成長を糧に生活を向上させていくこともできます。
頑張らなくても(脱成長的な生活をしても)これですから、とても良い選択になることが想像できます。
…
と書いておいてなんですが、個人レベルだからこそ脱成長が難しいような気もしてきました。
というのも、仕事を辞めた私でさえ「知らないことを知りたい」といった知的好奇心があるからです。
これは『経済成長』とは違うように思えますが、
「分からないことを理解できるように学ぼう」
「これを実行したらどうなるのかチャレンジしたい」
「こんなモノを作ったら楽しいじゃないだろうか」
「このサービスを提供したらみんな利用してくれるんじゃないだろうか」
は、どれも似たようなもので、どこかで経済成長に関わってくることが想像できます。
個人の成長と経済成長
よって『知的好奇心を満たす行為』は『成長』と捉えられ、これでは脱成長をすることにかなりの苦痛が伴うことになります。
最近、以下の記事で書いた
- 「少しでもお金を稼ぎたい」という気持ちが湧いてきた
も、もしかしたらこれによるものなのかもしれません。
日々、筋トレをして、ゲームを楽しみ、ブログを書く。
どれも『成長』のある行為ではあるわけですが、なぜか「成長している」という感覚が薄いです。
金銭的な話なのか、スキル的な話なのか、何故かは分からないけれど、なんとなく「物足りない」という感覚があります。
これが「成長していないから不安になっている」のであれば、『個人レベルでも脱成長は難しい』という考えが正しいと言わざるを得なくなります。
残念ながら「成長を実感できていないことに不安を覚えている」という想像が真実なのかどうかは分かりませんが、『個人の成長実感は幸福感に直結している』としている論文は多いです。
そう考えると『脱成長』というやつは、一見理想郷のように思えなくもありませんが、人々が幸福に生きるためには選びづらい選択肢なのかもしれません。
そんなわけで、
「脱成長という考え方そのものは好きだし、広がっていって欲しい気持ちもあるのだけども、なんだかんだ言って実行することは難しいのかもしれない」
と思う、今日この頃でした。
これで安心して株式投資を継続できそうです。
本記事の内容が、本ブログの賢明なる読者達に届けば幸いです。
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