<目次>
土曜日のポエム。
少し前のXでのポスト。
自分で書いておいてなんだけど、時代や環境が変われば豊かさの基準は変わるわけで「絶対的に豊か(貧しい)」なんて存在しないような?
— スパコンSE@投資ブロガー (@hyoshionnu) 2025年1月27日
そうすると「相対的に豊かかどうか?」で考えるしかなく、相対で見るのであれば「どこと比較するか」がそのまま答えになる
つまり豊かと思うかどうかはあなた次第 https://t.co/o5u6MCteFY
良いこと言ってるじゃん!
というわけで、X上では言及していない
- 豊か(幸せ)かどうか、は『どこと比較するか』がそのまま答えになる
について考えてみようと思います。
※『豊か』とは『楽しく生きられるかどうか』と受け取ってください。
『どこと比較するのか?』は意外と難しいですが、ぱっと思いつくのは、
- SNS上の人々
- 身近な人
- 昔の自分
あたりでしょうか。
SNS上の人と比べる
『SNS上の人と比べる』という行為は健全な比較ではないように思えます。
例えば、
「SNS上のキラキラした人を見ていると、自分のことがみじめに思える。」
なんてことを聞く機会は多分にあり、実際にそのように思うこともあります。
また、投資アカウント界隈でも「株クラは巨額の資産を持っている人ばかりだから比べたらいかん」とよく言われます。
しかし、SNSの投稿を見て『自分は豊かかどうか?』を判断するような、
そんな人はほとんどいねぇ。
そもそも、しばらく前までは「SNSをするとメンタルが悪化するぞ!」みたいな研究結果が多く報告されていましたが、最近では
- 案外SNSはメンタルに悪くないぞ
- SNSも使いかた次第で幸せになれる
なんていう論文(Adolescent Research Review)も発表されつつあるわけで、
「SNSを使うと、キラキラした人々と比べることで不幸になる!」
と断定するべきではありません。
とはいえ、多少なりとも無意識下でSNS上の人々と比較してしまうこともあるでしょうから、SNSは使いかたに気を付けて、
- 学習
- コミュニティの形成
と活かせるところには活かしつつ、
- 自分と比較してしまい、自分がみじめに感じるような投稿は無視する
といった意識が必要です。
なお、SNSを通じて「自分よりもみじめな人を見ることで安心する」という方法もあります。
これは不健全なように感じるものの、案外よい方法ではないかとは思うのです。
しかし、あらゆる投稿が津波のように押し寄せてくるSNSで『自分に届く情報を都合のよいものだけにする』のは困難なわけで…。
身近な人々と比べる
『身近な人と比べる』という行為は比較的に健全であるように思えます。
身近な人々は、自分に似たような状況・収入であるケースが多く、努力によって比較対象を超える・差をつけることも可能だからです。
しかし、よくよく考えてみると、これも比較対象として適したものなのかどうか微妙です。
例えば、同僚が「海外旅行にいった」「アルファードを買った」「ブランド腕時計を買った」なんて話を聞いて「うらやましい…!」と感じてしまったことのある方は多いでしょう。
私もあります。
実際に、そういった言葉に影響されてこれまでに興味のなかったブランドモノを買ってしまったり、流行っているだけの観光地に旅行に行ってしまうこともあるでしょう。
しかし、Aさんの贅沢、Bさんの贅沢、Cさんの贅沢、これらすべてを一人で体験しようとしたら、いくらお金があっても足りません。
その結果、「あいつらは楽しそうにしているのに、自分にはそんなお金がない…」と感じてしまう人もいるかもしれません。
また、自分だけが圧倒的な財力を持っていれば、『すべての同僚たちの趣味に手を出す』なんてこともできるかもしれませんが、
なにそのクソつまらなさそうな人生。
結局のところ『自分とは価値観の違う他人』と比較したところで幸せになれるはずもないので、
- 他人を無視して、自分にとって大事なモノ・コトに集中する
ことでしか、豊かな人生を送れないのではないかと思います。
とはいえ、知人が楽しそうにしている話を聞くと「羨ましい…」「わたしも…」と思ってしまうのも致し方のないところで…。
昔の自分と比べる
『昔の自分と比べる』という行為はこれがもっとも健全なように思えます。
むしろ、『豊かであるかどうか?』を他人と比べられない以上、自分と比べるしかないとも言えますし、
これまでの自分の行動(努力)が、『現在の自分』と『過去の自分』との差異となっているケースが多いからです。
が、残念ながら努力したからといって必ず豊かになれるとは限りません。
例えば、バイトが主な収入源であれば、継続していても大きく収入が増えることはなく、またスキル的にも成長を感じづらく、「豊かになった!」とは思えないでしょう。
とくに『失われた〇〇年』と言われてきた昨今では、収入が横ばいであり続けている人も多いです。
また、それ以前に、年齢とともに収入が増え・生活基盤が向上していても『昔より豊かになった』とは意外と実感しづらいものです。
実際に、テクノロジーの進化の恩恵によって豊かにくらせる基盤は間違いなく整ってきているはずなのに、それだけで「よい生活が送れるようになった!」と感じている人は多くはないでしょう。
また、毎年のように昇給していても、昇給が決まったタイミング・その後の給与振り込み時には「よっしゃ!」と喜ぶかもしれませんが、昇給後の給与振り込みが2回目・3回目となるころには、『昇給後の金額が当たり前』になってしまい、喜ぶことはなくなります。
実際に、M被告は年俸が1200万円⇒3800万円⇒7700万円と急増しているのにも関わらず「低賃金に不満があった」と言っています。(「著しく低賃金」水原一平被告は年収7700万円でも不満だった!? )
というわけで、残念ながら過去の自分よりも豊かになっているとは限りません。
また、実際には豊かになっていたとしても、それで「豊かになってきているぜ!」と実感できるとも限りません。
なにと比較してもダメなのかもしれない
SNS上で自分よりみじめな人と比較すれば、幸せになれるかもしれない。
自分より低賃金な同僚と比較すれば、幸せになれるかもしれない。
辛い時間を過ごしてきた過去の自分と比較すれば、幸せになれるかもしれない。
他にも、うまく比較する対象を見つけられれば、幸せになれるかもしれない。
が、どれと比較しても幸せにはなれないかもしれない。
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というわけで、冒頭で
- 豊か(幸せ)かどうか、は『どこと比較するか』がそのまま答えになる
とか言っていたくせに、結局
- 何かと比較をすることで、幸せを手に入れられるとは限らない。
という結論に至ってしまいましたw
(もちろん比較することで幸せになれる人もいるでしょうけど)
残念ながら、世界経済は発展し、より豊かな世界になっているはずなのに、世界の自殺率は横ばいなままです。
そしてその原因については様々憶測されていますが、いまだ不明なモノが多いです。
孤立が原因ともいわれますが、これは「○○より比較的に恵まれている」との考えで解消できる問題ではありません。
また、経済的困窮が原因ともいわれますが、豊かな国のほうが貧しい国より自殺率が高いですし、アメリカにおける(比較的経済的に恵まれている)白人は黒人の自殺率の倍(日本経済新聞)となっています。
「わたしは幸せである」と思えれば自殺なんてしないのでしょうが、これを見ている限り、少なくとも経済面だけでは(例え成長していても)「幸せである」と思えないようです。
とはいえ、この『世界は大きく進歩しているのにも関わらず、満足できていない人が多い』というのは致し方ないことかもしれません。
どこかで満足できてしまえば、「もっと!もっとだ…!」と人類がここまで進化することはなかったことでしょうから。
そういった意味では「自分は幸せではない…!」と考える人は、さらなる向上が見込める人とも言えるのかもしれません。
しかし、
「いまに不満はあるけれども、成長しようとする気力もない」
という人も多いでしょう。
けれども、よくよく考えてみれば、
- 衣食住が何とか確保できる。
- Xで人とのつながりを作れる。
- Yotubeなどで無料の娯楽を享受できる。
と、これだけでも十分幸せなような気もします。
周りを気にせず、過去の自分とも比べるでもなく、ただ、いまの生活にフォーカスを当ててみれば、比較的に恵まれていると感じられる”かも”しれません。
「贅沢したい」や「苦痛のない職場で仕事したい」「コンビニスイーツを食べたい」など、上を見ればキリがありませんが、
むかーしむかし、ブッダだか老子だかが
「足るを知るのですぞ(No!贅沢!)」
と言っていたり、
海を割った有名人モーセも、名著である十戒というやつで
「隣の人のものを欲しがったらあかんで」
といったアドバイスを残しています。
「幸せになるためには○○しろ!」なんてアドバイスはそこら中にころがっていますが、
そう簡単に幸せになれるのなら苦労はしねぇ。
ですが、
- 「とりま、いまに満足せぇ」という数千年も昔から廃れずに伝えられているアドバイスを、とりあえず聞いてみてもいいんじゃないかなぁ。
と私なんかは思います。
最後に、大切なこと
ちなみに、そのモーセは、
- 神に「エジプトから(奴隷にされていた)ヘブライ人を脱出させて約束された地に連れていって!」と言われ
- 海を割ったり苦い水をおいしくしたりしながら、約束された地まで人々を連れていこうと頑張って
- なのに、神の言うことをちょっと聞かなかったことがあったせいで、「モーセは約束された地に入っちゃダメ!」と神から怒られ
- 約束された地には入れないもんだから、山の上から約束された地を見ながら120歳で死んだ
というドラマチックな人生を送っていますが、それでもきっとモーセは「素晴らしい人生だった!」と思っていることでしょう。(誤認があったらサーセン!)
というわけで、私たちもモーセのようでありたいものですね(?)
「入れんかったわwww」
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結局のところ、そう簡単には幸せにはなれないからこそ人々は苦悩しているわけですが、最後に「www」となってもらえたのであればこの記事は大成功です。
辛い時間もあるでしょうが、そこに楽しめる瞬間を積み上げることができれば、まぁまぁ良い人生が送れるんじゃーないかと思います。
本記事の内容が、本ブログの賢明なる読者達に届けば幸いです。
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