読売新聞オンラインに、よい相談ネタがあったので考察します。
それは、下のような相談です。
50代のパート女性。20代の頃、会社の同期として働いた同世代の女性の友人2人と今も会っています。皆、その会社は辞め、私は独身、友人2人はバツイチで、うち1人は再婚しました。みんな子どもはいません。
互いの人生を把握しているので、気兼ねなく話せるありがたい友人なのですが、2人が徐々に「金の亡者」になってきて、会うのが苦痛になってきました。
子どもがいないせいか、将来を案じ、お金を増やすことに躍起になっています。株、NISA(少額投資非課税制度)、金の積み立て、暗号資産(仮想通貨)などの金融商品に手を出し、会えばその話になります。独身で財テクに疎く、何もしていない私の不安をあおって盛んに勧め、その場で資料請求させようとします。
せっかくの食事会もお金の話ばかりでうんざりします。私もお金の不安はありますが、たまに会うのですから、希望のある、気持ちが明るくなる会話を楽しみたいです。どう付き合えばよいですか。(東京・H子)
端的に言うと
「友達がお金の話をしてきてイヤだ」
という苦情です。
これを見て最初に思ったのは
「それ、友達じゃないんじゃないの?」
です。
本当に『気兼ねなく話せるありがたい友人』が投資を勧めてくるのであれば、
「この友人たちが言うのであれば投資は本当にいいのかもしれない。」
「よく分からないから話を聞いてみようかな。」
となるのではないかと思います。
とくに相談者は、「独身で財テクに疎く」と言っているくらいなので、相談者のほうから「教えて~」と言わねばならないくらいではないでしょうか。
それができない理由の一つとして、相談者に「財テクでうまくいっている友人に対する嫉妬心」的なものがあるのかもしれないと考えてしまいます。
また、相談者は、
「たまに会うのですから、希望のある、気持ちが明るくなる会話を楽しみたいです。」
と言うわけですが、会話が『希望のある気持ちが明るくなる会話』になるかどうかは、双方の受け取り方次第です。
であるのにも関わらず、一方的に「楽しくないのは財テクを勧めてくる友人のせい」と決めつけています。
そんなことから「これ、友達間の話じゃねーな」と思ってしまったわけです。
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…と書きましたが、それでも、残念ながらお金の話がデリケートであることは間違いありません。
親しい友人に対してであれば「投資をしろ!」と強く勧めることも可能ですが、
そうではない知人に「投資したほうがいいよ」というのは躊躇われます。
SNSなどを見ていると、「投資をしている」ということを公言したことで「え~…( ˊᵕˋ ; )」という微妙な反応をされた方も多いようです。(私はそんな経験ないですけど)
そうすると、
「投資の話は、投資家だとわかっている人としかしない」
となってしまいがちです。
しかし、これはこれで問題が発生します。
『偏り』という問題が。
例えば、
- 投資をするのが当たり前であり、投資をしないのはおかしい。
という偏った考えを持つことになってしまうかもしれません。
他にも、投資界隈では
- S&P500に20年以上投資すれば”絶対に”負けることはない。
- 年間支出額の25倍の資産をつくればFIREしても問題ない。
といった言葉が聞こえてくることがあります。
しかし、投資に絶対はないわけですから、これらは「うまくいく可能性が高い」だけであり、「問題ない」と言い切ることはできません。
こういった意見が生まれてきてしまうのも『偏り』によるものかもしれません。
他にもこういった偏りは多くあるはずですが、ここであげた例のほかに『投資家であるがゆえの偏り』は思いつきませんでした。
それは私がすでに『意見の偏った人間』となっているせいではないかと思います。
というわけで、
- できるかぎり『偏り』を生まないよう、積極的に嫌投資家の方々の意見も聞くようにしなければならない
と、日ごろから注意しています。
どんな意見にも一理はあるはずなので、嫌投資家の意見のことを「なんかバカなこと言ってんな~」と一蹴することなく、真摯に耳を傾けたいと思います。
対立することによって『意見の深化』『情報の精査』といったポジティブな結果が生まれてきます。
投資への向き合い方をより良いものとするためにも、本ブログでは引き続き、荻原博子さんのような投資反対派も応援したいと思います。
本記事の内容が、本ブログの賢明なる読者達に届けば幸いです。
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