「ここ1年まともに仕事していないのに普通に生活できているのすごくない!?」
との思いが湧いてきました。しかも、結構強めの驚きと共に。
これが出てきた理由は『”普通”大人になったら働くものだ』という意識がとても強く刷り込まれていたからなのだろうと想像しています。それどころか「人生のほとんどはサラリーマンとして過ごすことが普通なのだろう」とすらボンヤリ考えていました。
これはもう強く強く刷り込まれており、時にブログネタになる「ブログをもっと頑張ったほうがいいんじゃないか…」という思いの源泉ともなっていると考えられます。
であるのにもかかわらず、1年以上まともには働いていないため
「あれ?働いていないぞ?」
と、なったわけです。
この思いは今更ながら出てきたのは、おそらくこれまでは『長い休暇』という感情が強かったからだと想像しています。この要因は定かではありませんが、
- 『仕事をしていない』は理解をしている
- 『今後も仕事をしない予定』はハッキリと理解できていない
という状況であったのだと思います。
それが今更になって『働いていない≒雇われていない』「働いていないけど大丈夫なんだろうか?」という違和感として出てきたようです。
とはいえ、現在もまったく働いていないわけではないものの、私の中ではこの『働いている』は『雇われている』と近しい印象を持っていたようで、
- 起業をしているような人は自分とは違い世界の人間であり、私は雇われて働く世界の人間である
とぼんやりと思っていたために、現状の『一人で好きなように働いている』は、自分の想像する『働いている』とは乖離していたようです。
人生のおける労働期間
さて、セミリタイアに至るまえを振り返ってみると、
「手取り収入の半分で生活してきたのだから、倍の期間を働いたようんもんだ」
「それで一般的な労働者の半分の期間(およそ20年)を働いたのだから、十分働いたと言えるだろう!」
と考えておりました。
しかし、
120歳まで生きる予定の私が20年間しか働かなくて大丈夫なのか?
学生時代を除いても、20年間で手に入れた富を使って残り80年を生きていっていいのか?
とも思うわけです。
贅沢すぎんか。
私がとても贅沢であるのは確かなのですが、比較的に一般的である
- 大卒
- 60-65歳退職
- 85歳逝去
という条件であったとしても、人生の50%ほどしか働いていないことになります。
しかも、その50%のうちの3分の1ほどは休日(平均年間休日は120日ほど)なので、生涯における労働日数は人生の33%ほどにしかなりません。ざっくりと人生の7割は余暇になります。
むちゃくちゃ恵まれているな…。
なお、大昔を振り返ると、諸説ありながらも
- 中世の農耕民は、年間150~250日以上は働いていたが、夜明けから日暮れまで(夏は16時間、冬は8時間)働いていた(Snopes.com)
- 狩猟採集民は「休日」という概念は稀薄だが、週40-45時間ほど働いていた(Aeon Essays)
と、ある程度はに現代人に近しい労働時間だったと考えられます。
しかし、現代との最大の違いは『就労期』の長さです。
農耕民は、子どもは6〜7歳頃から家畜の見張りや簡単な畑仕事を手伝い始め、10代でほぼフルの労働力になり、その後は体力が落ちても、種まき・力仕事から、道具の手入れや軽作業、子守など役割を変えながら、死ぬか完全に動けなくなるまで家の中で何らかの仕事を続けていました。
また、狩猟採集民は、5〜10歳頃から軽い採集を手伝い始めますが「引退して何もしない期間」がほぼ存在せず、死の直前まで能力に応じて働き続けるのが基本形です。
よって、どちらも『ほぼ生涯労働者』であったことになり、現代の労働者とは比較にならない期間を働いていたことになります。
労働の質(苦労)に関しては『狩猟採集民は”遊び”と”仕事”の線引きがあいまいであった(Why Hunter-Gatherers' Work is Play)』とされてはいるものの、労働期間については明らかに長かったことになります。
良い時代だなぁ。
しかも現代の特徴は『手に入れた資産(お金)が、持っているだけで資産を生み出してくれる』という、理解の難しい仕組みが存在しています。
おそらく、狩猟採集民が聞いたら「鹿の肉が鹿の肉を生むっていうこと?」と混乱するでしょうし、農耕民が聞いたら「種もみを取っておけば来年の農耕できる、あたり前のことじゃん」と勘違し、正しく理解することはできないでしょう。
ただでさえ、ほとんどの期間を余暇としてすごせる世界であるのにも関わらず、投資という有利な仕組みを利用することで、その余暇をさらに伸ばすことができます。
そう考えると、私の考えていた
「人生のほとんどはサラリーマンとして過ごすことが普通なのだろう」
は明らかに誤りであり、
「人生のほとんどは余暇だった」
とすら言えるのかもしれませんね。
ただし就労している期間のほとんどは、肉体的にも精神的にも充実している期間ですから、その期間を延ばすべく
- NISA貧乏と言われようとも早くに十分な資産を蓄える
- 健康に投資することで余暇の時間を延ばす
のどちらか、ないしは両方が必要なのではないかと思うわけです。

いずれにせよ、人生のほとんどは余暇なわけですから、おまけのような『仕事』に注力することなく、
- 余暇を楽しめる何かに熱中すること
- 余暇を楽しむように仕事をすること
なんかが大事であると言えるのかもしれませんね。
本記事の内容が、本ブログの賢明なる読者達に届けば幸いです。
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