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つい先日、以下のような記事を公開しました。
そこでは『経済全体にとって良いこと』を主題とし、
「気軽に人が転職できる、適材適所な社会になるといいよね~」
と書きました。
それに対して
「でも解雇されるのはヤダ」
みたいなご意見を頂きました。
たしかに『解雇される』のは辛いのですが、適材適所を進める方法は『解雇』だけでなく、『労働者が気軽に会社を辞められるようにする』でも達成できると思うのです。
現状では、転職に対して強い抵抗がある方が多いようで、身近にも『むちゃくちゃ優秀なので、転職したら大きく収入を増やせるだろう人』がいるのですが、
「なんか面倒だからヤダ」
といって、低賃金のまま働いています。
これの元凶となっているものの一つが
「辛かったとしても、いまの職場で頑張らなければならない」
という考えかと思います。
実際に、
「私がぞうでした」
転職は怖いよ
過去を振り返ると、まぁまぁしんどい時期があったわけですが、
「いま辞めたら迷惑かかるんじゃないか…」
「うまく転職できるんだろうか…」
「転職できたところで、もっと辛い可能性も…」
といった、ぼんやりとした不安から
「今の労働を継続したほうがマシな気がする?」
と、大して考えるでもなく結論づけて、辛い時間を継続してしまいました。
私だけでなく、周りにも限界まで働き続けてしまい、結果としてダウンする人を多く見てきました。
そういった方々も、担当業務を変えることで何の問題もなく良い仕事ができるようになりますし、
担当が変わらなかったのにも関わらず、労働量をセーブすることで高いパフォーマンスを発揮している人もいましたので、
「うまくギブアップさえできれば、もっと活躍できていただろうに…」
と思うわけです。
非常にもったいない。
労働者の側から
「ここ、自分に合わないから転職しよう」
と気軽に行動に移せるようになれば、会社にも労働者にも良い結果を生むことになります。(それができれば、パワハラ気質な上司から人が去っていくことになり、より平和な世界も広がっていくことでしょうし)
ほんでまぁ、どうしたらそう思えるようになるか、ですが、
「労働なんか大して重要じゃない」
と思えることなんじゃーないかと思うわけです。
真面目な人ほどかかるワナ
そもそも
- 労働する最大の目的は『賃金を手に入れて良い人生を送ること』である
ことは明らかであり、
- そのための労働でひどく苦しい思いをするのは間違っている
と言えます。
ここら辺は、このブログでもよく書いている
- 投資の目的は『良い人生を送ること』である
- であるのにも関わらず、投資元本の確保のためにきつい節約をするのは間違っている
に近しいですね。
これ、しょっちゅう流用しているのですが、著名なユダヤ人哲学者であるハンナ・アレントの定義する
『仕事』とは、誇りをもってすることである。強制されているわけではなく、むしろやる気に満ち溢れている。達成は社会的に素晴らしいこととされる。
一方、『労働』とは,完全に生きるためだけにやっていることである。従って,やらないで済むならできればやりたくないことである
(出典:仕事と労働)
に合わせて考えると、
- 自ら望んだ『仕事』をしているのであれば、頑張れば良い
- やらされている『労働』をしているのであれば、不幸になってまで頑張る必要はない
になるのかと思います。
職場を見渡すと、のんびりと働いている『能力もなく、責任感もなく、やる気もない人』がいることでしょう。
その人たちこそが「労働とは本来こうあるべきなのだ」を示してくれる生きた教本なのです。
ここら辺、真面目な人ほどワナにかかってしまいそうです。
『お金』ってどれほど重要なんだっけ?
これ、ついでにいうと、『お金の価値』も重く見すぎているような気がするわけです。
「まとまった金額を稼がないと良い暮らしができない」がそもそも間違いで、
- 田舎に引っ越し
- 最低限の生活費で暮らす
といった状況であっても、面白おかしな人生を送ることはできるはずで、
ここまで吹っ切ることができたら、人生がかなりラクになるのではないかと思います。
案外、お金なんてなくても楽しく生きていけることはできるもんです。
…とまぁ、「現実はそんな甘くない!」と怒られそうな浮世ばなれしたことを書いているわけですが、これを真に受けて「じゃあ、仕事を辞めよう!」と決断するのではなく、
- 「お金はそんなに大事じゃないんじゃないか」「いざとなったら労働を辞め、支出を抑えた生活をすればいいや」と考えておくことで、すり減るほどに労働することを抑える
あたりがバランスの取れた方法ではないかと思います。
んでまぁ、労働の重要性を下げるための要素として
- 低コストで生きられる術を身に着けておくこと
- 仕事以外の収入源(株式など)を確保しておくこと
が重要で、これによって
「別に無理して労働しなくていいや」
「いざとなったら辞めてやろう」
という考えを後押しし、無理せず生きられるようになるのではないでしょうか。
と、いうわけで
「やらされている『労働』を継続する意義は少ない」
「それでも『労働』を続けるのなら、無理のない範囲でいこうぜ!」
と言うお話でした。
そう簡単に労働から離れることはできないかもしれませんが、世の中には職があふれるほどに存在しているわけなので、現職にこだわる必要はありません。
自分に合わない労働をさせられているせいで辛いのであれば、とりあえず退散してしまえばいいんじゃーないかと私なんかは思います。
本記事の内容が、本ブログの賢明なる読者達に届けば幸いです。
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