ただの戯言なんですけども…、『GDPを増やすこと』にどれだけの価値があるのかと言う話。
いきなりですけども、例えば、
世の中に100円しか存在しておらず、
- Aさん:マッサージ師(100円保有)
- Bさん:整体師(無一文)
の二人しか存在していなかったとしましょう。
①AさんがBさんに、100円で整体を依頼
②BさんがAさんに、①で手に入れた100円でマッサージを依頼
とすると、
- GPDに200円が計上される
ことになります。
Aさん、Bさんともに「贅沢(マッサージ・整体)は、年に1回で十分だ!」と考えていれば、年間のGDPは200円になります。
そうではなく「月に1度は贅沢したい!」と考えれば、年間のGDPは2400円(200円×12回)になります。
世の中にあるお金の総量、提供できるモノに変わりないのにも関わらず、気持ち次第でGDPが12倍にも膨れ上がりました。
もちろん、これを達成するためには『Aさん、Bさん共に(年間GDPが200円の時の)12倍働かなければならない』ことになります。
これが『私の思うGDP』なわけです。
もちろん、これは
- 『物理的なモノ』を介さないサービスだけの話である
- 取引時の税金を抜きにしている
- 海外との取引を考慮していない
などなど穴だらけではあるものの、上記を考慮したとしても
- 年間GDP=2400円の時のほうが、年間GDP=200円の時よりも幸せである
と言えるのでしょうか?
労働を増やせば、消費も増やせるわけだけども、
消費を増やさなければ、労働を増やさなくていい、とも言えます。
幸せの一番の源泉が『大量消費』なのであれば『労働を増やす=善』であると言えるのでしょうが、わたし個人としてはそう思いません。
とくに昨今では『無料(超安価)で楽しめるコンテンツ』が大量に存在しているので、 『頑張って稼ぐことの意味』が薄れつつあります。
むしろ、
「稼げるなら稼いだ方が良いから」
「まわりがみんな働いているから」
「みんなが旅行や料理を楽しんでいるから」
と、自分なりの『頑張って稼ぐことの意味』を見つけぬまま『流されて働いている人』が多いようにも思えます。
中国で『寝そべり族(稼ぎより自分の時間を優先する人々)』が増えているようですが、こういった人々は「実は働かなくても良い人生が送れるんじゃね?」という真理(?)に気づいた人々なのかもしれません。
『労働』に違和感を感じている方は、ここら辺についてじっくり考えてみてもいいのかもしれませんね。
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というわけで、
「もうこれ以上お金を稼がずに、さっさとリタイアしたい!!!」
という願望を正当化するための記事でした。
私に限らず、自分の思想や心情に忖度しない記事を書くのなんて不可能よ。
本記事の内容が、本ブログの賢明なる読者達に届けば幸いです。
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