市場が荒れていると過去の暴落について調べたくなる私です。
今回は、1720年に弾けたミシシッピバブルについて勉強していきましょう。
ミシシッピバブルにをざっとまとめると、
- 1684年にフランス人探検家(ルネ・ロベール・カブリエ、シウール・ド・ラ・サール)によってミシシッピ会社が設立された
- ミシシッピ川の河口にフランスの植民地をつくるためにできた会社
(赤線がミシシッピ川。手書きなので正確ではありません。)
- 1717年に、フランスの財務総監(ジョン・ロー)によって買収され、株式会社化する
- フランス王室から独占取引権を与えられた
- 実績もないうちから「ミシシッピ株は良い株だ」といって国民に売りさばく
- 『ミシシッピ株を担保にお金を借りて、そのお金でミシシッピ株を買う』という永久機関が流行り、株価がひたすら上昇していく
- たった1年間で、株価が20倍にまで上昇
- 1720年末にミシシッピバブルが崩壊し、1721年に倒産
(ミシシッピ会社バブル崩壊の推移)
- ミシシッピ会社のボス(ジョン・ロー)は解雇され、ベニスでギャンブラーとして生きていく。
- フランス王室は反省することなく腐り続けていき、1789年にフランス革命が起きる
大まかにはこんな流れとなっています。
では、詳しく見ていきましょう。
ミシシッピ会社の誕生と遠征の失敗
ミシシッピ会社は、1684年にフランスの探検家であるルネ・ロベール・カブリエ、シウール・ド・ラ・サールによって
- ミシシッピ川の河口にあるメキシコ湾にフランスの植民地を作る
ということを目的に設立されました。
4隻の船と300人の船員で構成された船団でテキサス州の一部に植民地を開拓するも、ミシシッピ川の探索の際に、座礁などによってすべての船が沈没。
ラ・サールのいい加減なリーダーシップによって、インディアンの攻撃、感染症、野生動物による攻撃、栄養失調などによって多くの部下が死亡。
そんなこんなで部下が反乱を起こし、1687年にラ・サールは死亡しました。
設立した植民地も1688年までしか維持できず、ミシシッピ会社による最初の遠征は失敗したことになります。
ミシシッピ会社の株式会社化
ここからが本題で、ミシシッピバブルの元凶であるスコットランドの経済学者ジョン・ローが登場。
18世紀、ジョン・ローはフランスの財務総監を務めていました。
当時のフランス国王ルイ15世は6歳と若く、摂政であるオレルアン公が実権を握っていたため、ローは、友人であるオレルアン公のつてで財務総監に就任していたのです。
フランスは、これまで続けてきた放漫財政やルイ14世が繰り広げた戦争によって疲弊、多額の政府借金をかかえ、コインの原料であるゴールドやシルバーなどの貴金属が不足していました。
そこでローは、バンク・ロワイヤル(銀行)を立ち上げ、コインに代わって紙幣を発行することにし、貴金属の不足を補おうとしました。(紙幣を通貨として使うようになったのは、これが世界初と言われています)
当初は、
- 発行する紙幣の金額の合計 = 国が持っている貴金属の金額の合計
とし、
「銀行に紙幣を持ってきたら、その分だけの貴金属に変えてあげるよ~」
という体制をとっていました。
しかし、放漫財政によって国の貴金属が不足していることが分かると、
- 発行する紙幣の金額の合計 > 国が持っている貴金属の金額の合計
となり、
「(みんなが銀行に紙幣を持ってきたら、貴金属が足りなくなるやん…)」
という状況となってしまいました。
また、莫大な政府の借金をなんとかするべく、ミシシッピ会社を買いとったうえで株式会社化し、
- 「借金を返す代わりに、ミシシッピ会社の株をあげてもいいよ」と国民(債権者:国にお金を貸している側)への提案を行なう
という、バブルの元凶となる手法を採用した。
これによって、
- ミシシッピ会社の株式を新規発行する
- 株式を国民に渡して、国民が持っている国債と交換する
- 政府が国民から借りている借金がチャラになる代わりに、国民が株主となる
- つまり、株式を発行すればするほどに、政府の借金が減っていく
という動きを作り出すことに成功した。
国民は、ローによる
- ミシシッピには金銀財宝が豊富にある
- それだけでなく貿易でも莫大な利益を期待できる
という言葉を信じて、ミシシッピ株をこぞって買い入れました。
ミシシッピバブル崩壊
ミシシッピ会社の株式⇔国債の交換によって、国の借金を減らすことに成功しつつはあるものの、ローはさらなる成果を求めて、
- ミシシッピ株をローンで買えるようにする
- ミシシッピ会社の株式を担保にお金を借りられるようにする
ということを制度化しました。
これによって、
- お金はない人でもミシシッピ株が買えるようになった
- ミシシッピ株を担保に新しい株を買うことができるようになった
ということで、ミシシッピ株の株価がどんどん上がっていきました。
(サブプライムローンの「収入が安定しない人でも住宅ローンを組めますよ」という制度に似ていますねぇ…)
株価が上がれば、
- 新規株を国債と交換するときに、大量の国債を償還できる(政府の借金がいっきに減る)
- すでに株を持っている国民の資産額が増える
と、良いこと尽くめでした。
しかし、ふと誰かが気付いたのでしょう。
「株価が上がってきているけど、これって本当に貴金属に交換してもらえるのか?」
と。
株価が上昇、株数も上昇しているので、フランス国内にある『資産額』は急上昇していましたが、お金を信用足るモノとしている『貴金属』は、そう簡単には増えません。
当時『紙幣などのお金の価値』は『貴金属に変えられること』にあったため、
- 貴金属に変えることのできない紙幣なんて、ただの紙くずである
と多くの人が考えていました。
そこで、それに気付いた国民から順に
「銀行が持っている貴金属がなくなる前に、ミシシッピ株を売って、貴金属に変えておこう」
という動きが広がりました。
この動きが止まることはなく、ついにミシシッピバブルの崩壊が始まりました。
『実体以上に通貨を発行すれば破綻する』というのは現代にも通じる事象ですが、ミシシッピバブル崩壊はその破綻の先駆けとなったわけです。
ミシシッピバブル崩壊後
バブルによって困るのは、バブルに賭けた投資家だけではありません。
バブルによって世の中に流通している通貨の量が増え、インフレが起き、1720年1月の一か月間だけでも23%も物価が上昇しました。
もちろん、パンなどの食料も高騰し、庶民の生活を苦しいものにしました。
バブルの元凶となったジョン・ローはフランスから逃亡し、ローマ、コペンハーゲン、ベニスでギャンブル生活をしていましたが、1729年(59歳)に肺炎で亡くなりました。
その後のフランス革命
といった感じで、ミシシッピバブル崩壊の犯人とされたジョン・ローは去りました。
が、そもそもは『フランスの放漫財政が元凶』であったことを見逃してはいけません。
しかし、ミシシッピバブル崩壊時には「ジョン・ローが元凶である」と一人に責任を押し付け、フランスの放漫財政が治ることはありませんでした。
また、ジョン・ローのような『金策』によって国の借金を減らすような策を取ることはできなかったため、
- 政府は大量に借金を抱えることとなった
- 借金返済のために、国民から大量の税を徴収していた
という、国民の不満が高まる中、
- 歴史的な小麦の不作によって、パンの価格が高騰した
ことがきっかけで、1789年にフランス革命が勃発します。
ただ、このフランス革命によっても、フランスがすぐに立ち直ることはなく、その後もズルズルと悪政が続いていくこととなるわけです…。
そんな世界が続いたことで、最近流行りの『マルクス主義』の生みの親である、カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルスのような人物が誕生することになりました。
そこまで触れると、終わりが見えなくなってしまうので、詳しくはPrimeVideoで無料公開されている映画でも見て頂ければと思います。
『実体』を無視して『お金』ばかりが増えたとて、うまくいくはずもありません。
コロナウィルスに関連する経済対策のために世界中で大金をばら撒いたいま、『実体』と『お金』はどんな関係にあるのでしょうか?
出典:
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